市川三郷町議会 2023-02-03 03月03日-02号
私たちは当時、旧町時代には、課長を全員集めて、私が係長のときに人事担当をしていました。どこの課からも出てくる、みんなうちは忙しい、うちは忙しい。その時に私が言ったのは、課長さん方に言ったのが、皆さん、明日はわが身でどこの課へ行くか分からないですよと。どこの課にどれだけの業務があって、どれだけの苦労をしなければならないかということは、分らないんですよ。
私たちは当時、旧町時代には、課長を全員集めて、私が係長のときに人事担当をしていました。どこの課からも出てくる、みんなうちは忙しい、うちは忙しい。その時に私が言ったのは、課長さん方に言ったのが、皆さん、明日はわが身でどこの課へ行くか分からないですよと。どこの課にどれだけの業務があって、どれだけの苦労をしなければならないかということは、分らないんですよ。
合併当初、2~3年は旧割石トンネル付近の側溝も旧町時代の臨時職員が管理されておりましたが、いろいろな作業ができる方なので、便利に多方面に出向くうちに、六郷周辺整備に手が回らなくなりました。
過去の例の中からすると、土地問題等々クリアしなければならない勝沼町時代からのことがございますから、そうはいってもこんなに観光にも、それから経済的にも非常に優位に立てるホテルが本当に来ていただけるならば、私どもも側面から協力を惜しまないということの中で庁内でもお話をさせていただいたところでございます。
◎町長(久保眞一君) 碑林公園の観光宣伝策と源氏の館、弓道場の活用策など、運営改善や宣伝、活用策についてでありますが、1点目の大門碑林公園の観光宣伝策につきましては、平成5年度、旧市川大門町時代に、敷地総面積約3万2千平方メートル、総事業費約14億6千万円にて、町民の憩いの広場、また甲斐源氏発祥の地として自然・歴史・文化のふれあいの場を目的に5年間の歳月をかけ完成しました。
本町における資源ごみの収集については、旧町時代からの収集体制により、市川地区および三珠地区がリサイクルステーションを活用した資源ごみの回収方法を採用し、六郷地区においては、古紙、ミックスペーパー、その他プラスチックは、地区の指定された収集場所に、それ以外のペットボトル、ビン類、金物類、瀬戸物、ガラス類は、可燃物を回収するごみ収集所にて回収しております。
それから、小川議員は地元でいらっしゃるから、あれですが、過去にあそこを、例えば洪水になったときに、水深5メートルから10メートルみたいな表現があるんですが、県が旧町時代に大塚工業団地をあそこに造っているんですよね。
それ自体、私自身が認識しなければいかんということで、過去、上野原町時代の議会だよりですね、創刊号から始め、幾多の書物を多数見聞してみました。そして、数多くの意見・発言が記録に残っているという実態でございます。 その中から一例を紹介します。まず、昭和54年の町議会においての一般質問と答弁でございます。原文のまま紹介しますので、若干長くなろうかと思います。
次に、双葉支所東側の案内板につきましては、旧双葉町時代の平成7年度に設置されたものであり、甲斐市発足後、平成17年度に市内の公共施設を表示したシールを貼ったものであります。 ご指摘のとおり劣化が激しく、ひび割れによりまして、表示内容の確認ができない状況です。今後、活用方法がない場合は撤去について検討してまいりたいと考えております。 ○議長(清水正二君) 答弁が終わりました。 質問ございますか。
思い返しますと、平成20年10月の就任以来、それまで培った政治経験を最大限に生かし、国庫補助制度を活用するなどして、市費の抑制を図りながら、第1次甲斐市総合計画の主要事業でありました竜王駅周辺整備事業をはじめ、旧町時代から懸案となっておりました塩崎駅周辺整備事業などの交通基盤整備のほか、新市のまちづくり基盤整備に取り組んでまいったところであります。
平成20年10月に甲斐市長に就任して以来、衆議院議員、県議会議員として培った政治経験を最大限生かし、国庫補助制度を活用するなどして市費の抑制を図りながら、藤巻義麿初代市長から引き継いだ第1次甲斐市総合計画の主要事業でありました竜王駅周辺整備事業をはじめ、旧町時代から懸案となっておりました塩崎駅周辺整備事業、また、長塚第二踏切及び市道長塚名取線の歩道整備など、市民生活の一層の向上を目指した交通基盤整備
これまでに旧勝沼町時代を含めて、市の一般会計へその利益剰余金を繰り入れてきたということも経緯でございます。まさに市民福祉の向上、公共の福祉を増進するために貢献してきた施設であると言えます。 鈴木市長は、施政方針の中で、市直営の施設として対策を進め、集客を促進していくと表明しておりました。また、選挙戦での公約でも、企業経営のセンスに富んだ人物を管理者に迎えたいという発言もしておりました。
粘土節は、明治の大水害の後、釜無川の堤防大改修工事の際に歌われた作業歌で、現代の豊かな暮らしの礎になった先人の苦労を伝える身近な象徴として伝えられる貴重な民俗芸能として、昭和56年田富町時代に無形民俗文化財として指定されました。 現在、粘土節は、田富小3、4年生が運動会で正調粘土節と全国版粘土節を披露、田富北小でも、全校児童及び保護者が運動会で一緒に踊るなど、恒例プログラムとなっています。
◆7番議員(笠井雄一君) もう1点、今言う個別計画のほうも、策定中というところなんですけど、これは非常に難しい問題だと思うんですよね、政策的な問題もありますし、実は私、職員時代、旧町時代に、25年くらい前のことですかね、専門家は、専門学者はこれからは建物を建てる時代ではないと、取り壊していく時代なんだと、やがては維持管理費等において、財政をものすごく圧迫すること、これからの時代はそういう時代なんだよということを
県道甲府南アルプス線の廃棄道・バス通りの移管につきましては、旧竜王町時代から協議が進められており、平成29年3月には管理移管に係る事務処理等の内容を定めた覚書を締結しております。この覚書に基づきまして市が以前から要望しておりました水路等の改修箇所について、今年度から工事に着手しており、5月には工事内容についての地元説明会も実施されたところであります。
アピタ、オギノと商業施設があって、そこを東西に横切る道路、そこを通学路として渡るときに、昔から田富町時代から信号機が欲しいと言ったけれども、なかなか信号機がつかなかった。アピタが出たおかげでずっとガードマンさんがついてくれた。子どもの通学の時間帯にガードマンさんがそこに優先的に誘導してくれた。アピタさんが撤退したら大変なことになった。いろんな学校関係者が動いてあそこに信号がつきました。
今、管理者、正式な管理者はいなくて私が代行というようなことであるわけでありますが、非常に、勝沼町時代の遷移者の一件もあったので、なかなか管理者をというふうな、ある程度、私も市長をやってそっちもというのはなかなか大変だというわけでありますので、いたらなというふうに思いますけれども、なかなか正直言って今のところ余りこれはという人がいないということは残念なんですが、何とかこの年内には探したいなというふうに
この二つに限っても上野原町時代を含めて町民、市民の方がどれだけ楽しみにしていたか、関心があったか。中心商店街の各店のアピールに役立っていたイベントと承知をしております。
昭和60年ごろから緑化センターとして旧竜王町時代より活用されてきましたが、平成22年、県では緑化センター事業に一定の役割を終えたとして事業廃止の方向を決めたというような経過になっていたと思っております。その後、たびたびいろいろな説明がありました。
旧市川大門町時代に対象区間中ほどにある車両のすれ違いが困難な箇所の改良を沿線住民の方々のご協力を得て実施いたしました。 町では対象区間内の未改良箇所につきまして、開発行為や住宅建築時における、狭あい道路拡幅整備事業を推進し、沿線住民のご協力をいただきながら改良を進めていきたいと考えております。
この道路は、もうかなり前、私たちが町会議員になって、その前に敷島町時代から、ずっとそこから、もう、甲府の山宮羽黒時代ということとつながってくるということが想定されまして、県道田敷線には、もう四つ角の隅切りがちゃんとあるわけですけど、そこから先の2.5キロ間がなかなかはっきりしないということで、土地を所有する方とか、いろいろな自治会の方からもどうなっているだということが再三聞かれました。